2002.10/16
ここ1ヶ月の間に「腰が痛い」と言う事が何度かあり、
本人は注射を打っていました。私は忙しく遠隔だけしていました。
久しぶりのひーりんぐ。腰の原因はお腹でした。(今日は腰の痛みなし)
冷たいものがヒューヒュー出ている。仙骨のあたりや尾てい骨のあたり
もそうだけど、お腹もすごい!!背中お腹徹底的にひーりんぐ。
「あーからだが軽い〜。」といつもの言葉。ほっ!とする。
「右の肩が痛い」との事。私の痛いところと同じ!!
とくほんが貼ってあった。ひーりんぐすると、
私の手がびりびり、ヒヤヒヤおまけに痛い!どうした????
しばらく片手を頭にかざしながらひーりんぐ、頭もスースーとしている。
終わると「肩が楽だよー」と喜んでくれた。
いつのまにか私も楽になっていた。不思議
2003/2/7(金)
久しぶりのカキコ。ちょこちょこヒーリングはしていたが
特別の変化が無いので、ご無沙汰でした。
足の痛みがすっかり取れたので、天気の良い日は散歩をしている。
ひーりんぐしていると、右の胸や肩・頭に反応があるのに、
本人は痛みはなく、体が軽いといっている。
又、よく寝れるらしい。「ぐっすりねちゃうんだ」と言う。
病状に変化は無い。食欲もあるし、何でも食べる。
このまま、痛みが出ずに 天命をまっとうできるといいなー
4/8(火)
毎月一回定期検診に行っているが、特別大きな変化はない。
体の何処かに痛みを感じることもとりあえず無い。
今日は、足がだるいらしい。先日は体全体がむくんでいたようだ。
足をひーりんぐしたら、「軽くなってよかった!」と喜んでいた。
なるべく、≪自分で動いて、自分の口から食べて 毎日が過せる様に≫
そして、≪天命がまっとうできるように≫とひーりんぐしています。
爪を切ったり、耳を掃除してもらえる事が、何より幸せと感じているようだ
2003/12/25(木)
祖母が亡くなって、もうすぐ3ヶ月になろうとしている。
ここからは、祖母の闘病日記とします。
祖母は、癌だったの。口の中に出きるね。
最初は口内炎だと想っていたらしく、気づいた時には「癌の疑いがある」と
病院を紹介されて・・・・
祖母は、以前胸のレントゲンを撮ったとき、影があると言われていた
でも、検査をするのは若い人でも大変らしく、年のいった祖母には
かわいそうだから、年齢も年齢だし検査はしないという事になっていた。
結局はこれも「癌」だった。ほんの数ミリづつ大きくなっていたの。
痛みや胸の苦しさはなかったけどね。でも、今考えると違和感はあった感じ
2002/7/末 入院
1ヶ月だけ入院して、糜爛の部分だけ取って、高齢だから 様子をみながら
放射して、検査していた。 ボケると困るからと先生に言われ、
老人カーを持っていって,自分でトイレに行ったり 病院内を散歩したりして
毎日交替で付き添いをした。
入院していても、祖母は元気で 周りの人はとても辛そうなのに
ベットに寝たっきりではなく 起き上がってしゃべったり 散歩したりで
およそ 「癌患者」らしくない患者でした。
家の者が行くまでは、同室の人が面倒みてくれて ありがたかったです。
1ヶ月で退院して、それからは 2週間に一回通院
食事も普通食の柔らかい物。なんでも食べた。
果物も、プリンやヨーグルト・お団子も大好き!
いつもと 同じ生活。昼は 老人カーで散歩。お友達とね♪
まるで、病気ではないみたい。 遊びに行くと とっても喜んでくれた
ひととおり 全身をひーりんぐして、爪を切ったり・耳掃除したり
お茶を飲みながら話しをするのが、お決まりのコース。
「あー体が軽くなった」が口癖。 その言葉を聞くのが私の楽しみ♪
体からのヒーリングは出来ても、心のケア―が出来ない! 祖母との会話がちぐはぐになったり、自分の言いたい事だけ言ったり
そう 思っていた時「光りの言葉セラピー」を学ぶ事にした。
そして、さりげなくお茶しながらとり入れた。
なかなかうまく進まなかったが、それも又 楽しかった♪
通院の時は、最初父が連れて行っていた。でも、検査と言う時には
父も 中まで入っていけないから、祖母が「役にたたない」と言う
着替える所までは 他にも女の方がいるから・・
父は とても寂しそうだった・・・
脱いだり着たりの介助がひつようだからね。
それなら、「私が連れて行く事にするよ。」と言う事で、私が行く事となる
自分の想いはそうかもしれないけど・・・・「相手はこう感じてるかもよ」
なーんて、病院への車の中で 愚痴をこぼす時は 話しをする。
そうすると なんとなく感じるみたい。「自分もわるかったな・・・」って
そう言えば、私はいつも祖母と母の間に入って両方から 愚痴聞いていたナー・・・
そんな時も「光の言葉セラピーの手法」を用いる。貴重な時間だから・・・
予約をしていても、1時間・2時間は待つのは当たり前。
間に、新患が入ればもっと、今想えばよく待っていたと想う
祖母はコーヒーが好き!だから待ってる間に一本は飲む。
周りを見ると、けっこうお年寄りの患者さんが多い。
もちろん 若い人もいる。 何度も通院していると知り合いも出来る。
祖母が知り合いと話している時も、待っている時も 私は、ヒーリングしてた
目立たぬように、直接したり、遠隔したり・・・・
なんで 病院はこんなに混むのか・・・・近所には「癌患者」の人は
そうはいないけど・・・ 病院ではたくさんいる。
「以外と多いんだな―」と想った。でも、当たり前 癌センターだもの・・・
祖母は 病院の帰りにお昼を食べるのを楽しみにしていて
最初は「かっぱ寿司」に良く寄った。茶碗蒸やお味噌汁は必ず頼んでいた
いくらやマグロが大好きだったの。
もうひとつの楽しみは買い物をする事。食べ物・雑貨自分の欲しいものを
買い物する。
それから、帰ってから飲むお茶のつまみもね。 このひとときが楽しみなの
通院が1ヶ月に一度になった
祖母は定期的に血液検査をしていた。
H/14/11/5の血液検査の結果は、多臓器転移の疑い
胃や腸の方に疑いがあるから、胃カメラと大腸の検査をすすめられる。
家族は、年だし・・・・と言う事で、本人の意見を尊重した
「胃カメラはしない、超音波でお腹を見る」それだけをすると言う。
この時お世話になった先生は数年前祖母が、肝臓にできもの?が
出来た時 お世話になった先生で、今回の症状もすべて承知していた。
癌センターの通院ができなくなって、入院となったら、
この先生にお世話になるよう お話しておいた。
それは、癌センターの先生も、近くのかかりつけの先生も承知していた
祖母は3箇所の先生のサポートを受けていた。
毎日の生活は、自分で台所まで来てご飯を食べる。
だんだん柔らかい物になってきている。
しみるもの・辛いもの・しょっぱいもの・固いものは
さけて、 やわらかく、味のあるもの。おおきくなく 薄く細かめのもの
になってきていた。 りんごや梨も薄くちいさく切ると良く食べた。
缶詰の「たいみそ」が一番喜んだ。
叔母達は、レトルトのおかゆや煮物などをよく送ってくれた
孫達も祖母が食べれるものを考えて、水羊羹やヨーグルト・ヤクルトとか
飲み物も買ってきた。甘酒も大好きで、缶の物を箱ごと買っておいた
何でも食べる人で、パンやワッフル・団子も食べていた。
口の中の癌の部分が少しづつ広がるにつれ、食欲も落ちていった。
食べたい意志はあっても、ただれている所が、しみたりするのもある。
お天気がいいと 幼馴染の人と 老人カーを押して散歩に行く
缶ジュースとお菓子を持って、休み休み散歩して、途中近所の家で
お茶をご馳走になったりしてくる。
お互いの家に行き来しては、お茶のんだり、話したりしていた。
これが祖母にとっては一番の楽しみでした。
幼馴染の家に行くには 交通量の激しい道をわたる。
家族は心配していたが、言っても聞かないし、楽しみだから
好きにさせていた。幼馴染の人が、必ず道路の反対側で、待っていて
車が来るか見ていたらしい。 無事行き来をしていましたよ。
でも、中には「危ないのに・・・」という人もいたようだ。
なかなか、こういうふうにさせてあげる家族はすくないんじゃないかな?
「危ないからと」本人の事を想って辞めさせる人の方が多い気がする
それも思いやりだよね。 でも、はらはらしながらでも 見守って
好きな事をさせてあげるのも思いやりだと想う。
そして、祖母の場合には、この方がとっても祖母の病気にも良かった。
それは、精神面に 心によかった!! そのことで、満たされて過ごせたから・・・
「老いて行く事への不安」「病気の事」「死の事」他 そういう事を
話していたようだ・・・・
もし、「危ないから行くな!」とか送り迎えをしていたら、
祖母はもっと 早くに自分で歩けなくなって、精神的にも不安やいらだちが
出て、弱くなるのが早かったと想う。
「危ないけど自分で行く」この気持ちがどんなに祖母の元気の元に
なっていたことか! 『自分で・・・』これはほんとにパワーの元でした。
家族の イライラや不安・心配・人の中傷を抑えての
≪本人の好きなように≫を通させた事。子供や孫ひ孫・お嫁さん他
周りの助けがあって、それは、実現したの。
トイレは、亡くなる2週間くらい前まで自分で歩いたり、最後の方は
はって行っていた。 もちろんそそうしてしまう。
綺麗ではないが、掃除もしておく。 その後に入ると又掃除しなおすようだった。
でも、家族は「いずれは自分もそうなるからと」祖母には言わずに
掃除をしていた。「いいなー」って想ったよ。
祖母は紙オムツにするのをすごく嫌がった。自分が情けなく想っていたのかな?
下着も 人に洗って貰うのが「申し訳無い」と最後の方まで出さなかった。
服は、頼んでいたけどね。祖母は、「自分で出きる事は自分でやる。」
「じゃないと、体がなまっちゃうから」と病気になっても洗濯は自分でしていた
周りの人に「年寄りにやらせて・・」って想われるから母は
どうしたものかと想っていたが、本人のやるがままにさせていたの
だんだん 自分の想うように 洗濯物が干せなくなって・・・
人の手を借りるようになって・・祖母は自分が年老いた事を感じて行く・・・
母やお嫁さんの手を借りて行く事が多くなるにしたがって・・・
祖母は「老いて行く」と言う事を受け入れて行った。
その姿は、周りのものに『老いる』とは、どう言う事か教えてくれていた。
祖母の幼馴染の方が亡くなる。
この事は、祖母に大きなショックとダメージを与えた。
見ていて、日に日に弱って行くのがわかる。
それほど、心の支えになってくれていた、大きな存在だった。
その日を境に祖母の口からは、「死にたい」「どうしてこんな病気になったのか?」
「生きていてもしょうがない」という言葉が、どんどん出てくるようになった。
聞いているのが辛い。 どうしてあげたらいいのか?
人の話を聞かずに一方的に言って来る。ただ 聞くのみ・・・・・
家族は、なるべく一人にしないで話しかけるようにしていた。
食欲が落ちる。外に出ない。家でTVを見ている。
まるで、「死」に向かっているようだ・・・
精神的なダメージがこんなにも大きいものだと言う事を見せつけられた
『生きる』その気力が感じられない。きゅうに弱弱しくなる
4・5月頃から 口の外側へとただれが広がって来た。
7月に入ると、足腰の衰えがすすんで、
台所に来て、ご飯を食べるのも大変になって来た。
歩くのも 大変! でも、気丈にしている。
病院で待つのも、」前はあんまり「遅い」と言わなかったのに
「まだなのかー」「先生は忘れちゃったんだろうか?」と言うようになる
待つ事も、つらくなって来た。
15年8月の通院を最後に祖母は病院に行かなくなった。
この時最後の総合検査をした。
この頃には、布団に横になっている事が多くなった。
入院という話しも出た。しかし、本人は「入院したくない」
「家で、死にたい」という。
食欲も落ち、癌の症状が口の上あごにまで、広がり入れ歯が入らなくなった
バニラ味の栄養剤を飲む。食べる量が少ないから痩せてきた。
手足の先が冷たい。いつも手足をさする
8月27日にベットを出す。これは頂いたもの。介護に適したものだった。
「立ったり座ったりが楽でいい」と喜んでいた。
手もとのスイッチで上半身が起きるようになっているが、足まで上がるの
ずーと押していると、V字の状態にベットがなってしまう。これには驚き!!
近所の先生が床ずれ防止ように「エアーマット」を申請してくれた。
近くの叔母が、介護に来てくれはじめる。
9月に入って検査結果を私だけで聞きに行く
血圧・肝臓・心臓・腎臓OK!むくみは、運動しないからとの事
この時点で、祖母の今の状況を話して、癌センターには、もう通院しない事と
今までのお礼を伝え、家族の考えを話し、近くの先生と、もし入院となったら
お世話になる先生へと紹介状を書いて頂いた。
そして、近くの先生へお願いし、家でぎりぎりまでいさせて欲しいと伝えた
癌センターの先生もはっきり祖母に「癌」と告げた。
私は 「何もお年寄りに伝えなくても・・・」と想っていた。
祖母もショックだったようだ・・・・
自宅で治療を受けるにあたって かかりつけの先生もはっきり祖母に
「何かの時は 入院だから」と伝え 「自然になっ!」と言う
「きついなー」と想った。しかし、祖母は気の強い人だから、
入院はしたくないし、頑張った。
8月の終わり頃から週1回の点滴をする。9月に入って週2回の点滴
叔母が、お風呂に入れたり 身の回りの世話に来てくれる
自分の娘だから、わがままを言う。うれしくてしかたがないようだ。
9/19頃から、お腹が痛いと痛み止めを使い始める。
祖母は、自分でも頑張った!「入院したくない」という気持ちがあったから
毎日一緒にいる家族も、外に出た子供達も、孫もひ孫も
そして、先生方も皆が力を合わせて看護にあたったから、
祖母は最後を自宅で迎えられたと想う。
祖母の最後の言葉は「もう何も思い残す事はない。」
「こんなに皆に世話になって、もったいない」だった。
亡くなって、死に化粧をした時、唇の外にまで出ていた、癌細胞は
無くなっていて、ちゃんとした、唇で、綺麗に紅をさしてもらっていたの。
祖母は幸せだったよね? 自分の想いを全部通して亡くなったんだもんね。
祖母が入院したくないのは、今まで、義理の妹や、近所の方が
入院して、どんな状況だったか聞いて知っていたからだと想う。
それは、あまりに寂しい状態だったの。お見舞いも付き添いも時々で、
私がお見舞いに行って見たのは、タンが出したくても、うまく出せない
看護師もいない。自分で、必死になって出している姿。
たまたま看護師さんが来て、タンの事伝えたら「○○さん自分で頑張って!」
それで終わり!「そんなぁー」冷たい返事。タンが出やすいように手伝って
背中をさすって、向きを変えて・・・・
人手不足なのかもしれない・・・・ でも・・・
一人で、話し相手も無く時間でしかオムツを取り替えてもらえない
ある人の時は、取り替えたオムツが椅子の上に置きっぱなしのまま
暖房が効いているから、喉が渇いても、水のみがTVの上。
自分で起き上がれないから、誰かが来るまで、飲めない。
自分で向きも変えられない・・・
これが病院の現実!。我が家は病院に入院しても、必ず誰か身内がいる
でも、諸事の状況から、それもかなわない人がたくさんいる。
高齢の人が多くなっている今『介護』はとても大きな問題
お金もかかる。お金があって病院に入れっぱなしというのも
ある意味幸せなのか 不幸なのか・・・・
入院している人達を見ていると、
「もう少しあたたかいこころで、
接して欲しい!」とつくづく想う。
だって、こころのある人間を見てあげているんだもん。物ではない
みんな心をもっているんだもん。そして『心』が大切なんだもん
そんな事いったって、いろいろ事情があるし・・・・
となるのだろう・・・・
何となく 祖母を感じる時がある。
この 祖母の体験が,ここを訪ねて読んでくれた方々の
少しでもお役にたてたら、いいなぁー とおもっています。
老いていくお世話をするのは大変です。まして、病気をもっていると
家族の負担は大きいものです。肉体的にも精神的にも金銭的にもね。
でも、どうぞ 「いずれは自分がとおる道です」諸事情があると想いますが
出来る範囲で、こころのこもった看護をしてあげてください。
誰かに負担がかかることなく、家族・外に出た子供・孫 皆で力をあわせて
どうぞ 介護してください。 『先の人がいたから、今の自分がある』
その事を想って、それは、後に続いていくものですし、
『自分が通る道』なのですから・・・・・
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